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前史I 前史II yuri  前史III  yuri  同時代史 後史

    

※注:以下の記述については、まあ、デタラメと思っていただいた方が正確です。
中世の奇々怪々な歴史は、もう手に余ります(あっちょんぷりけ)。      

年 代 事 柄
キリスト歴 ペリーヌ歴   フランス     ヨーロッパ      中近東・インド     世界
829
830
843
860
870
875
878
882
890
BP1035
BP1034
BP1021
BP1004
BP  994
BP  989
BP 986
BP  982
BP 974
            ウェセックス王エグバート、イングランド統一
ノルマン人、西
欧に侵入始まる
ヴェルダン条約
(フランク王国が3つに分裂)
                                             
キエフ、コンスタンチノーブルを攻撃
メルセン条約
(仏独伊の原型)
                                             
黄巣の乱(〜884 )
               
アルフレッド大王、デーン人を破る
                                             
キエフ・ロシアの建国(リューリク朝) 
                                  
カタロニア伯国、独立
            マジャール人、東欧に侵入
905
907
911
950

960
962
987
988
1000
BP959
BP957
BP953
BP914

BP904
BP902
BP877
BP876
BP864
            ナバラ王国成立(バスク
                                    唐、滅亡
(五代十国時代)
ロロ、ノルマンディー公国を興す
                                    火器の使用
                                    マヤ文明、最盛期
                                    趙匡胤、宋を興す
            オットー1世の戴冠(
神聖ローマ帝国の成立)
カペー朝、始まる
                                    ウラジミール大公、ギリシャ正教を国教とする
            
『アーサー王物語』            羅針盤の発明
1016

1035
1037
1054
1060
1066
1077
1095
1096
1099
BP848

BP829
BP827
BP810
BP804
BP798
BP787
BP769
BP768
BP765
            デンマーク王クヌート1世、イングランド征服
                              アラゴン王国、興る
            ナバラ王国、最大領土
(サンチョ大王)
                                  
セルジューク・トルコ、興る
                          東西教会分離
(大シスマ)
 
『ローランの歌』
               
ノルマンディー公ウィリアム、イングランド征服(ノルマン・コンクエスト)
               
カノッサの屈辱
                          クレルモン公会議
(十字軍の要請)
                                  
第1回十字軍
                          十字軍、イェルサレム攻略
(イェルサレム王国 〜1187 )
1100
1115
1122
1125
1127
1137
1143
1147
1151
1154
1163
1171
1186
1187
1189
1200
BP764
BP749
BP742
BP739
BP737
BP727
BP721
BP717
BP713
BP710
BP701
BP689
BP678
BP677
BP675
BP664
            十字軍騎士団、相次ぎ創設(テンプル騎士団など)
                                     完顔部阿骨打、金を
興す
               
叙任権争議決着(ウォルムスの協約)
                                                
金、遼を滅ぼす
                                     宋(北宋)、滅ぶ
(靖康の変)
               
ポルトガル王国、興る
               
アラゴン・カタロニア連合王国、成立
                           第2回十字軍
アキテーヌ公領女相続人アリエノール
(エリーナ)、ヘンリー2世と再婚
            プランタジネット朝
(アンジュー朝)、始まる
ノートル・ダム大聖堂着工
( 〜1345 
                                  
サラーフ・アッディーン(サラディン)、アイユーブ朝を興す
                                  
ゴール朝、ガズナ朝を倒し、パンジャブを支配
                                  
サラディン、イェルサレムを奪回
                                  
第3回十字軍
                    『ニーベルンゲンの歌』
1204
1206
1208
1212
1215
1219
1230
1234

1240
1241

1250
1254
1258

1261
1273
1279
1291

1298
1299
1300
BP660
BP658
BP656
BP652
BP649
BP645
BP634
BP630

BP624
BP623

BP614
BP610
BP606

BP603
BP591
BP585
BP573

BP566
BP565
BP564
            第4回十字軍、コンスタンティノープル攻略(ラテン帝国 〜1262 )
                                     テムジン
(チンギス・ハーン)、モンゴリアを統一
アルビジョワ十字軍
(異端力タリ派殲滅)
                
少年十字軍
            イングランド王ジョン、マグナ・カルタ
(大憲章)を認める
                                     チンギス・ハーンの中央アジア遠征
( 〜1225 )
            カスティリャ王国、レオン王国を併合
            ナバラ王国、フランス三伯家の順次統治始まる
                                     金、滅ぶ
            ハンザ都市同盟確立
            ワールシュタットの戦い
(バトゥ@モンゴルVsドイツ・ポーランド連合軍)
                                     バトゥ、キプチャク・ハン国を建国
( 〜1502 )
                            マムルーク朝、興る
            大空位時代
(神聖ローマ帝国 〜1273 )
                           フラグ、アッバース朝を滅ぼす
(イル・ハン国 〜1353 )
                                   
魔女狩りを正当とする教皇の教書が出される
                                  
ビザンチン帝国、再興
            
ハプスブルグ朝、始まる(神聖ローマ帝国)
                                     元、南宋を滅ぼす
                           マムルーク朝、アッコ攻略
(十字軍勢力掃討)
               
永久同盟、締結(中央スイス)
            マルコ・ポーロ『東方見聞録』
                           オスマン帝国、
興る( 〜1922 )
            羅針盤の実用化
1302
1309
1328
1337
1346
1347
1350
1351
1356

1358
1360
1368
1370

1378
1381
1389
1393
1399
BP562
BP555
BP536
BP527
BP518
BP517
BP514
BP513
BP508

BP506
BP504
BP496
BP494

BP486
BP483
BP475
BP471
BP465
三部会召集
アヴィニョン捕囚
(  〜1371 )
バロア・オルレアン朝
、始まる
百年戦争
( 〜1453 )
クレシーの戦い
(エドワード3世Vsフランス王軍)
ぺスト大流行
(欧州全域の死亡率は30%以上 〜1374 
                                                                                            アユタヤ朝、
興る(タイ 〜1767 )
                                     紅巾の乱
( 〜1368 
            金印勅書
(神聖ローマ帝国皇帝選挙の法典化)
ポアティエの戦い
(黒太子Vsフランス王軍)
ジャクリーの乱
(農民一揆)
ブレティニー・カレー条約
(イギリス有利のうちに休戦)
                                     朱元璋
(洪武帝)、明を興す
            ハンザ同盟、最盛期   ティムール朝、
興る( 〜1507 )
            火器が普及し始める
            シスマ
(教会大分裂 〜1417 )
            ワット・タイラーの乱
(農民一揆)
                
カルマル同盟( 〜1434 )
            チョーサー『カンタベリー物語』
            ランカスター王家の成立
(対仏強硬派)
1405
1414
1415

1419

1429
1434
1442
1450
1453

1454
1455

1477
1478
1479
1480
1485
1487
1488
1492

1494

1497
1498
1500
BP459
BP450
BP449

BP445

BP435
BP430
BP422
BP414
BP411

BP410
BP409

BP387
BP386
BP385
BP384
BP379
BP377
BP376
BP372

BP370

BP367
BP366
BP364
                                     鄭和の南海大遠征( 〜1433 )
            コンスタンツ公会議
(教会大分裂の収拾)
            フスの処刑
アザンクールの戦い
(ヘンリー5世Vsフランス王軍)
            フス戦争
(ボヘミアの反乱 〜1436 )
ヘンリー6世即位
(イギリス・フランス連合王家の成立)
ジャンヌ・ダルクの決起
            メディチ家の繁栄
            アラゴン、ナポリ王国を征服
                                     ジャワ、スマトラにイスラム教広まる
            コンスタンティノープルの陥落
(ビザンツ帝国、滅ぶ)
フランスが全土を回復
(百年戦争終結)
            十三年戦争
(ポーランド・リトアニア同盟軍Vsドイツ騎士修道会 〜1466 )
            ばら戦争
( 〜1485 )
            グーテンベルグの活版印刷機
            ネーデルランド、ハプスブルク家領に
            ポッティチェリ『春』
            アラゴン・カスティリャ両王国統合
(実質的にスペイン王国成立)
                                     モスクワ大公国、独立
            テューダー朝
、始まる(ばら戦争終結)
            シュプレンゲル、クラーメル『魔女の鉄槌』
(魔女狩りの手引書)
            バルトロメウ・ディアス、喜望峰に到達
            スペイン、グラナダ奪回
(レコンキスタの終結)
            コロンブス、グアナニハナ
(サン・サルバドル)島に到達
イタリア戦争
(ナポリ王国継承への介入)
            トルデシリャス条約
(スペイン・ポルトガルによる世界分割)
                              アメリゴ・ヴェスプッチの南米探検
            バスコ・ダ・ガマ、インド航路を開拓
            ポーランド
国、最強勢           モア、絶滅(二ュージーランド)
1501
1506
1507
1510

1512
1513
1514
1515
1516

1517

1519

1520
1521
1524
1526


1529
1533
1534

1543
1545
1552
1555

1559
1562
1568
1571
1572
1580
1581
1586
1588

1593
1596
1598
1600
BP363
BP358
BP357
BP354

BP352
BP351
BP350
BP349
BP348

BP347

BP345

BP344
BP343
BP340
BP338


BP335
BP331
BP330

BP321
BP319
BP312
BP309

BP305
BP302
BP296
BP293
BP292
BP284
BP283
BP278
BP276

BP271
BP268
BP266
BP264
                          イスマイル一世、サファビー朝を興す( 〜1732 )
            サン・ピエトロ大聖堂着工
( 〜1603 )
                              チューザレ・ボルジア、死す
            ポルトガル、ゴア占領
            レオナルド・ダ・ビンチ『モナ・リザ』
                            カスティリャ王フェルナンド2世がナバラ王国の南側を併合
(残りはナヴァール王国)
            マキャべリ『君主論』
                           フッガー家の繁栄
            スペイン統一
            トマス・モア『ユートピア』
                          オスマン帝国、シリア征服
            ルター、贖宥状を糾弾する「95箇条の提題」を掲示
                          オスマン帝国、マムルーク朝を滅ぼす
            マゼラン、世界周航
( 〜1521 )
            スペイン・ハプスブルク朝、始まる
                          オスマン帝国、最盛期
                                     コルテス、アステカ王国を滅ぼす
            ドイツ農民戦争
                          バーブル、ムガル
帝国を興す(パーニーパットの戦)
                          モハーチの戦い
(オスマン帝国Vsハンガリー)
            ハプスブルク家のボヘミア、ハンガリー支配
            オスマン帝国、ウィーン包囲
(カール5世、ウィーンに迫るオスマン軍の進撃を阻止)
カトリーヌ・メディチの輿入れ
(後のアンリ2世と結婚)
            イギリス国教会、ローマ教会より分離
                                     ピサロ、インカ帝国を滅ぼす
            コペルニクス『天球の回転について』
            トリエント公会議
(反宗教改革のはじまり)
            ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』
            アウクスブルクの宗教和議
(カトリックとプロテスタントに平等の権利)
ノストラダムス『諸世紀』
            エリザベス一世、統一令で国教会再建
ユグノー戦争
            オランダ独立戦争
(八十年戦争 〜1648 )
                           レパントの海戦
(スペイン艦隊Vsオスマン艦隊)
サン・バルテルミの大虐殺
                                     織田信長、宗教勢力を一掃
(天下統一)
            オランダ独立宣言。インド航路を開拓へ
            エル・グレコ『オルガス伯の埋葬』
ブルボン朝、始まる
            スペイン無敵艦隊
(アルマダ)、イギリスに敗れる
ナヴァール王国を併合
                                     オランダ艦隊、ジャワに到着
ナントの勅令
(新教徒に信仰の自由)
            イギリス、東インド会社をつくる(株式会社の先駆け)
               
魔女狩りの最盛期

 

イングランド!イングランド!やっほー♪やっほー♪

 何て馬鹿な項目名(笑)。ペリーヌ物語は基本的にフランスの物語なのに何故イングランドか?と言えば、ファンの方には自明のことですよね。ペリーヌの運命を変えるキーワードは「英語」だし、産業革命発祥の地イギリスは当時工業先進地でストーカーじゃなくてエンジニアのファブリさんは頻繁にイギリスに出張してましたね(たぶん)。*1時代を遡れば、簡単に言ってイギリスはフランスの分家であって、特に中世では深いエニシがあります。原作でベンディットさんが変わり者扱いされてるのも、そこらへんに起源があるようなのです。

er320 お隣のアイルランド島の神話*2のようにグレート・ブリテン島(まあ、当時はそんな名前では無かったのでしょうが)も何度と無く新しい侵略者を迎えてきたのでしょう。*3 2000年程前にグローバル化の権化ローマ人がやってきたときにはそこはブリトン人の島でした。いかに勇敢なプリトン人達も当時最強の名を欲しいままにしていたレギオンの群れには抗しきれず次第に征服されていきました。*4以来ゲルマンの民族大移動で帝国がガタガタになる5世紀半ばまでブリテン島はローマの支配下にありました。
 そしてローマ人と入れ替わりに侵攻してきたのがゲルマン人の一派、今なお全世界でブイブイいわせているアングロ・サクソン人*5なのです。アングロ・サクソン人はおよそ1世紀ほど費やしてブリテン人をブリテン島要部*6から駆逐、そこに小王国を幾つも築いて互いに争い合う戦国時代に突入しました。さすが生粋のバイキング。血の気が多過ぎです。これが名高いヘプターキー=七王国時代でおよそ300年ほど続きました。七王国*7のひとつウェセックスがようやく覇を唱えようとした9世紀後半からデーン人(つまりアングロ・サクソン人の故地の人々ですね)の侵攻が激しくなり、とうとう1016年にはかれらの王に征服されてしまいます。デーン人の王系がわずか30年余りで絶え、さあこれからというところで意外にも大陸のノルマンディ*8から「待った!」が掛かります。有名なノルマン・コンクエストです。そして奇妙なことにその後「イギリス人(アングロ・サクソン人)のイングランド王」が誕生することは二度と無かったのでした。このノルマン由来の王達は当然のごとくフランスと関係も深く、1154年に即位したヘンリー2世に至ってはフランスのほぼ1/2が彼の所領*9だったと言いますから驚きです。そしてこのような広大な領地の所有や継承権の交錯が紛争の芽にならずにはいられないのが人の世の定め。百年戦争勃発のおよそ2世紀前のことでした。

 
*1 さらにアニメでは、マリさんにはイギリス人の血が流れてますしね。
 *2 『エリン来寇の書』などの島のケルトの神話。これによれば現在の(とゆーか当時の)住民は6番目の来寇者の子孫なのだとか。
 *3 日本と同様に大陸の端に位置し、氷期には大陸と陸続きであったイギリス諸島には、大陸に動揺がある度に様々な民族が到来しました。1万年前のマグレモーゼ人をはじめとしてベル・ビーカー人、イベリア人、そしてBC7C頃からはケルト人がやって来ました。ブリトン人はBC4C頃にやって来たケルト系の人たちです。
 *4 ブリトン人の抵抗の中で有名なものに「女王ボウディッカの反乱」があります。AC60年、ブリトン人のイケニ族の王プラスタグスの妃ボウディッカは夫の死後その統治権の継承を申し立てましたが受け入れられず、逆に抗議するボウディッカは鞭打たれ、娘達は強姦されるという酷い仕打ちを受けたのです。これで重税などで燻っていたイケニ族のローマへの不満が爆発!大規模な反乱になったのでした。当初はローマの入植者、ローマ軍団、ローマとの友好都市を次々と(文字通りに)血祭りに上げ、強勢を誇りました。しかし、ローマ軍団が仕掛けた決戦に壊滅的に敗れたイケニ族は戦場を埋め尽くした夥しい死体と共に鎮圧されたのでした。敗北を悟った女王は毒をあおって果てたということです。
 *5 BC5C頃ユトランド半島(デンマーク)周辺に活動していた3つの部族の総称。ユトランド半島北部に住んでいたジュート族。現在のドイツ北西部からオランダにかけて住んでいたサクソン人。ユトランド半島基部に住んでいたエングル人(イギリス人またはアンゲル人)。かれらはこの順にブリテン島に来襲、殺戮と略奪を尽くした後で定住し、自身の王国を作りました。彼らの子孫がアングロ・サクソンと呼ばれる人たちなのです。ただし現在のアングロ・サクソンには被征服者や別の征服者たち、つまりブリトン人やピクト人、スコット人、デーン人、フランス人などなどの血が入り交じっています。
 *6 だいたいブリテン島南部のうちでウェールズとコーンウォール半島先端部を除く地域。ここに七王国がひしめいていました。
 *7 テムズ川下流のエセックス、ブリテン島東南部のケント、西部のウェセックス、南部のサセックス、東部のイースト・アングリア、中部のマーシア、北部のノーサンブリア、以上の七つ。時代によって他を圧する勢力を誇った王国が台頭しましたが、最終的にはウェセックス王がイングランドを統一した形になります(直後にノルマンに征服されますが)。ちなみに有名なアーサー王のモデルはこれら七王国と戦った西ウェールズ人(ブリトン人)の将軍だといわれています。さらに脱線するとペリーヌの友バロンがそうかも?と言われているビーグル犬は6世紀ごろにウェールズの宮廷でかわいがられていた犬に始まるのだとか。
 *8 ”ノルマン人の国”の意。ノルマン人とは”北の人”。今で言うスカンジナビア人であるバイキングが散々北海沿岸を荒らし回った後、フランスのセーヌ川河口部に住み着きました。で相変わらずの略奪行為。困ったフランス王は土地を与える代わりに臣下として封ずるという手を打ちました。ここにノルマンディー公国が誕生するわけです。
 *9 ヘンリー2世の所領は以下の通り。イングランド、ウェールズ、アイルランド東部、ノルマンディ、メーヌ、アンジュー、ブルターニュ、ポワトゥー、アングレーム、アキテーヌ、オーヴェルニュ、トゥールーズ、ガスコーニュ、アルマニャック。どっちかっつーとフランス王のようですね。

バスクの栄光

 ”バスク”と言っても「ちたーんず!」の人ではありませんよ(笑)。イベリア半島がフランスと接する大西洋側、ピレネー山脈を跨ぐ一帯がバスクの地です。*1そこに住むバスク人はヨーロッパではとてもユニークで、例えばその言葉はインド=ヨーロッパ語族ではなくて、何故か遠くカフカスの辺りに残っている言語と類似点があるとか、例えばその身体的特徴は近隣の人々とは異なっているので”クロマニョン人の末裔ではないか”という説まであるくらい。*2CMで有名になった力持ち比べや美食クラブ、スカッシュみたいなスポーツ・ペロタ*3、ベレー帽、そして『ペリーヌ物語』ファンにとっては辛抱タマラン履物・スペイン靴、すなわちエスパドリーユを生み出したのがバスク人なのです。

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 バスク人たちはそのユニークさのせいかどうか非常に独立心が強く、ローマの時代にも完全には支配されていませんでしたし、かのカール大帝の軍にも屈しませんでした。*4そのバスク人たちが歴史の表舞台に登場するのは、8世紀後半破竹の勢いで攻め込んできたアッラーを奉ずる人々が天然の要害ピレネーとカール大帝とバスクの抵抗勢力に阻まれて以降のことでした。キリスト教化していたバスク人はあたりをナバラ辺境伯領として打ち建て、抵抗の拠点としたのです。彼らは勢力を伸ばし、一時はフランス南部にも領土を伸張しました。
 結局、最初の十字軍前後の時代がバスク(ナバラ王国)の最盛期でした。十字軍のうちの一つ・レコンキスタ(国土回復運動)の最前線としてキリスト者の栄光のもとに戦場を駆けめぐったのでした。その後は西隣のアラゴンの独立や南部のカスティリャの隆盛など*5の流れの中で領地は縮小し、王座も失われ、*6次第に海運・鉱業が盛んな一地方*7として埋没して行きました。
 とはいえ彼らが”ワヲモッテトウトシ”と何処かの島国の人々のように丸くなってしまったかというと大間違いで、それはスペインのTVにETA*8のニュースが流れない日はないことからも明かです。

 *1 バスクはスペインとフランス両国に跨って存在しています。それがETAに関する問題でも事態をややこしくしているのです。歴史的にもバスクはフランスと深い関係がありますし。
 *2 別の説としては古代のヨーロッパを賑わせたイベリア人の末裔ではないか、というものもあります。
 *3 壁に向かって大きめのゴルフボールみたいな球を打ち合うゲームがペロタです(壁を使わずにテニスのように対面しておこなうものもあるようです)。”打ち合う”と書きましたが、手に籐製の長く湾曲したグローブをはめて、球を受けたり投げたりする競技(ハイ・アライ)もあります。このグローブを使うと遠心力によって球速は高まり、300km/hrを超えます。しかし真のペロタは素手で硬球を打ち合うのです。痛てぇ!
 *4 カール大帝の軍とバスクの人々の戦いのなかで生まれたのが有名な『ローランの歌』だとか。
 *5 スペイン統一の経過を簡単に図示してみました。すべてがイスラムの侵入に始まるといってもよいでしょう。表中赤文字で示したバスクの王国ナヴァールは名目上も17世紀を待たずに消え失せました。

ガリシア レオン カスティリャ バスク アラゴン カタルーニャ バレンシア
        ローマ帝国      
5世紀 スエビ王国              
6世紀       西ゴート王国      
7世紀                
8世紀 後ウマイヤ朝   後ウマイヤ朝   フランク王国
ヒスパニア辺境伯領
  後ウマイヤ朝
9世紀 アストゥリ アス王国 ナバラ辺境領 アラゴン伯領 バルセロナ伯領
10世紀 レオン・アストゥ リアス王国 カスティリャ伯領 ナバラ王国      
11世紀 ポルトゥカレ   レオン・
カスティリャ王国
    アラゴン王国 バルセロナ伯国 ムラービト朝
伯領  

 

 
12世紀             ムワッヒド朝
13世紀       ナバラ王国     バレンシア王国
14世紀 ポルトガル王国 カスティリャ王国       アラゴン連合王国  
15世紀                
      ナヴァール王国      
16世紀   イスパニャ王国(スペイン)          
               

 *6 ナバラ王国の王位はすでに1237年、時の国王サンチョ7世が没したときに後継者がなかったため、フランスの三つの伯家(シャンパーニュ,エブルー,フォア)が順次統治するようになっていました。
 *7 バスクの地にはローマの時代から貴金属や鉄の産出があり工鉱業が盛んでしたし、16世紀以降は武器製造業が発展しました。一方、9世紀にこの地にまで到達したノルマン人との交流によって航海技術を身につけたバスク人たちは海運業に精を出し、冨を築き始めました。またその技術を生かしてスペイン無敵艦隊やアメリカ貿易にも携わりました。あ、ひょっとしてエスパドリーユ造りの技はノルマンたちから学んだとか?
 *8 バスク祖国と自由。スペイン・フランス両バスクの統一と独立を標榜するテロ集団。スペイン全土で誘拐や暗殺、公共施設の爆破などのテロ活動を展開しており、いまだ解決の目処は立っていません。スペインがブッシュの戦争に積極的に参加した第一の動機。

血で描いた十字架

 ブッシュの戦争の初期、彼は思わず「これは十字軍だ!」と口走ってしまって大顰蹙、慌ててなかったことにしたのはまだ記憶に新しいところです。3万とも7万ともいうエルサレム市民を”恍惚として”殺戮し尽くした*1という十字軍兵士達のおこないを海兵隊に期待したとでもいうのでしょうか?どうせならフリードリッヒ2世の十字軍*2をお手本にすればよかったのに。つーか、よく考えると9.11を引き起こしたアルカイダの方々の方がどちらかというと十字軍ぽいのは皮肉というかなんというかですね。

 十字軍を単にヨーロッパVsイスラムとすると*3、20世紀初頭にオスマン=トルコが滅ぶまで延々と続いたことになってしまうのですが、一般的には中世の8次に及ぶヨーロッパ諸国の中近東への軍事遠征を指します。もともと生臭い動機*4から始まっているみたいですけど、”エルサレム奪回”という大義名分が達成されたのは結局第1回十字軍だけだったのは鰯の頭もナントヤラつーか船頭多くしてウンタラ*5つーか。といいつつ、ペリーヌ物語的に興味深いのは、第0回十字軍とも言える民衆十字軍*6を煽動したのがピカルディはアミアンの隠者ペトルス(ピエール)*7であったということでしょうか。

 *1 第一回十字軍。神に感謝しつつ恍惚として殺戮を続けたことが当時のいくつかの記録に残されているとか。アッチ逝った目つきの武装集団がある日突然大挙して攻めてきたら、イスラムの人らはそりゃもうたまげたことでしょうよ。動くものがいなくなったらお決まりの略奪。血塗れの兵士たちが血塗れの金品を掻き集めるのに走り回ったとか。中国マフィアの強殺団と何処がどう違うのでしょうか??
 *2 いわゆる無血十字軍。文化人でかなりのイスラム通であった神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世はぜーんぜん十字軍には興味がありませんでした。けれどもヤイノヤイノの法王の脅迫紛いの要請に根負けして重い腰をあげたと思ったら、アイユーブ朝のスルタンとの外交交渉によりあっさりとエルサレムの支配を回復してしまったのでした。なかなかあっぱれなことです。彼とは反対にやたら十字軍に乗り気だったのはフランスの王達で、なかでも聖王ルイ9世などはほぼ単独で2度の十字軍遠征を行った挙げ句、行軍中に没しています。
 *3 広義の十字軍はエルサレム奪回を目指したものばかりではありませんでした。たとえばユダヤ人迫害。もともといい目では見られていなかった彼らは輪をかけて悲惨な境遇に追い込まれていったのでした。たとえばレコンキスタ。前項で述べたようにイベリア半島で繰り広げられていた対イスラム国土回復運動です。たとえば異教徒のキリスト化。これは主に北東ヨーロッパ(今のポーランドやリトアニア辺り)で繰り広げられていたドイツ騎士修道会の植民戦争のことです。このあたりではまだ西スラブの神々が余命を保っていたのでした。しかもポーランドやリトアニアは共に強国で戦闘は幾度となく繰り返されたのでした。ちなみに”修道会”とはいうもののドイツ騎士修道会はほとんど国家のようなものです。最後に異端の殲滅も十字軍の重要な大義名分でした。有名なアルビジョア十字軍などですね。進軍は苛烈な殺戮とともに進み、南仏の伝統文化はほぼ根絶したとか。後世、魔女狩りなどで悪名高い異端審問のはしりだとも言われます。
 *4 もともとの提唱者ビザンチン帝国皇帝アレクシオス1世はセルジュク=トルコからの帝国防衛と勢力拡大、法王ウルバン2世は東方教会への優位を、各王達は自身の王権の強化を、諸侯や騎士たちは武功と領地を、商人は当然経済的利益を、それぞれ皮算用していたのでした。宗教心に燃えて参加した庶民が馬鹿みたいですね。
 *5 とくにひどいのは第4回十字軍で、スポンサーのヴェネチア(共和国)の要請で商売敵のビザンチン帝国の都コンスタンティノブールを攻撃して帝国を中断させてしまったのでした。
 *6 十字軍は国家レベルのものだけではなく、無名の民衆達がおこなったものも多数ありました。有名な少年十字軍もその一つ。今に例えて言うなら休みの日に珍走団やってる連中のようなものです。いや、そんなのに毎度毎度攻め込まれるのもたまったものじゃないわけで、イスラムたちは最初の奇襲以外は着実に戦禍を抑え続けたのでした。
 *7 もとは結構な身分の騎士の出で、修道士となった後にエルサレム巡礼に赴きましたが、当地で見た巡礼の酷い扱いに憤慨。帰国後フランス各地でアジ演説をぶち、十字軍熱を盛り上げたという.....まあ、架空の人物だという説もありますが。ともあれ当初2万以上の規模を誇ったというこの素人十字軍は各地のセルジュク=トルコ正規軍との戦闘で消耗し、エルサレムに辿り着いた者はごく僅かだったとか。さもありなん。

百年もの内戦

 最初”ひゃくねんせんそう”という言葉を聞いたときには「百年間も戦ったら人がいなくなってしまうのでは?*1」と思ったものです。ヨーロッパ史上には三十年戦争だの八十年戦争*2だの、長期の戦争ばかりです。主の御言葉は「汝、右の頬を打たれたらねじ込むようにクロスカウンター打つべし打つべし打つべし」でしたっけ?

 私は百年戦争ってイギリスとフランスの戦争かと長いこと思っていましたが、違うのですね。「フランスを救え」とゆー声を聞いた人*3もいましたが、どの勢力が勝ったにしろフランク族の国には違いなかったのですから。確かに当時のフランスには歴史のアヤから広大なイギリス領がありましたが、それを巡る戦闘はむしろ初戦・表層に過ぎず*4、むしろ核としてはアルマニャック派*5とブルゴーニュ派*6とバロア家の争い、すなわち内戦という見方も出来るでしょう。なんか酔っぱらいの喧嘩*7みたいですが(笑)フランク主系と傍系の争いで、フランク王国がフランス王国になる過程で必要だったともいえるのかもしれません。ただしこの争いはフランス国内では決着したものの、ブルゴーニュ*8派の血脈はハプスブルグ家に引き継がれて*9、ヨーロッパ全体を巻き込んだ闘争に拡大するわけですから、いやはや、はた迷惑な話です。

 *1 RGBのタイムトライアルのように戦闘に次ぐ戦闘が百年間続いたわけではありません。遠征による一連の戦闘が終わると数年から数十年にわたる休戦協定が結ばれるということの繰り返しが百年ばかり続いたということです。膨大な戦費はもちろんのこと、当時は黒死病大流行と農民反乱などのまっただなか。そうそう戦争状態を維持できませんよね。
 *2 オランダ独立戦争のこと。ちなみに”オランダ”という言い方をするのは日本ぐらいだとか。ネーデルガン...じゃなくてネーデルランドね。
 
*3 偉大なるフランクの王クローヴィスを洗礼したという聖レミギウス(サンレミ)に因む名を持つロレーヌ地方の小村ドンレミ・ラ・ピュセル。フランスの守護聖人の名を持つ村に生まれたのが運の尽き。庄屋の娘として生を受け、救国の聖女としてみまかる...はてさて神のみぞ知るとはこのことでしょうか。しかも自分たちの努力で戴冠させた男に裏切られて火あぶりにされたし(シャルルはジャンヌの身代金を払わなかった)。でも彼女の姉?が火刑後にばったりとジャンヌと出会った!なんつー説もありますのよ。
 *4 ちょっと強引かな(笑)。名目上イギリス王家がフランスに有している広大な領土を実質的にも回復し、あわよくば王位をも...てのがイギリス王@プランタジネットのねらいでしたからねえ。結局カレー以外の領土を全て失いましたが。
 *5 もともとブルゴーニュ公国内の反英派。のちに第2代ブルゴーニュ公ジャン無畏公を暗殺したり、王家から廃嫡されたバロア家のシャルルを担ぎ出したりしました。
 *6 ブルゴーニュ公国内の親英派・主流派。フランスからの分離を画策しました。ブルゴーニュ公国は現在のドイツ・フランス境界地域からルクセンベルグ・ベルギー・オランダの辺りを領土としました。マロクールのあるソンム川流域も領土でした。”ブルゴーニュ”という名は6世紀にフランクに滅ぼされたブルグント王国に由来していますが、ブルゴーニュ公国はバロア家傍系のれっきとしたフランク族です。
 *7 アルマニャックはピレネーの麓、バスクの影響の深いところです。コニャックと並び賞される「命の水」アルマニャックの産地ですね。色も香りも味も深いがっしりした味わい...だそうです。一方のブルゴーニュは言うまでもなくワインの名産地です。ボージョレ、モンラッシェ、ムルソー、シャブリ、ジュヴレ=シャンベルタンそしてロマネ=コンティ。いずれも呑み助でなくても聞いたことのある有名銘柄ばかりです。
 *8 全く関係ありませんが、アホな私がブルゴーニュとよく間違えるのがブルターニュ。大西洋に突き出た半島で独特の文化を持った地域です。それもそのはずここはケルトの生き残り、ブリトン人の国だったのです。ブリテン島を追われた彼らが大挙してやってきたのがここ。人々は独立心が強く、フランスに併合されたのは16世紀の初め、その後も現在に至るまで強い自治権を持ち、または要求しているのでした。
 *9 最後の当主豪胆公シャルルが戦死したとき、その娘マリーは領地もろとも神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世と結婚、ハプスブルグ家世界帝国の礎を築いたのでした。宗教的なこともありますが(カトリックのフランス対プロテスタントの神聖ローマ帝国)ウィーンとマドリードの両ハプスブルグ家に挟撃される形でのフランスとの抗争は、第一次世界大戦によってオーストリア=ハンガリー二重帝国が崩壊するまで五百年余りも続いたのです。ちなみに中世の大富豪として有名なフッガー家はハプスブルグ家のパトロンで、ペリーヌに洗脳された(笑)ビルフランよろしく貧民のための住宅を建てたりして慈善活動に尽くした敬虔なクリスチャンだったとか。

宗教改革つーか分裂ではないのね?

 プロポーズするときはお父さんの政党とおかあさんの宗教を確認しなくてはならないのよ、と誰かが言ってたような気がしますが、この場合の宗教とはカトリックかプロテスタントか*1ということでしょう。地上の王国*2を築いた教皇たちでしたが、頂点を極めれば後は下るばかりなのは、神の身ならぬ人の世のならい。結局十字軍の大号令をかけた辺り*3がその権力の極みだったのでしょうか。その権力、世俗に干渉しすぎたことがローマ教会の権威を失墜させ、身内の分裂を生む事になったのも皮肉といえば皮肉なのでしょう。それまた神の思し召しか。

 キリスト教がローマ帝国に公認される前から、教会は異端と戦い、排除し続けてきました。*4キリスト教があまりに世界宗教となり過ぎたため、各地の既存宗教の影響を受けた諸派がバポナ*5を吊さなかった場合のように後から後から登場し続けたのでした。中世の頃には自身の腐敗もあって異端派はますます強固なものとなり、ヨーロッパ内部への十字軍*6や異端審問*7が必要な状態になっていったのでした。宗教が強い力を持っていた時代のことです。異端であるとされた場合の有様はしばしば酸鼻を極めるものとなります。遅かれ早かれ”原点に帰れ!”*8という運動が津波のように立ち起こるのは必定だったのかも知れません。教会の権威を必要としないその分派=プロテスタントが旧来のカトリックと共存するには夥しい血と何世紀もの時間が流れなければならなかったのでした。ドイツでも。*9フランスでも。*10

 ところで、ひとつ気になったのはアニメのマリさんの信仰です。ペリーヌがカトリックなら母親もきっとそうだと思うのですが、彼女はイギリス人。普通ならアングリカン=チャーチですよね?ひょっとして御老体がエドモンの妻をやたら憎んだのは宗教の違いも原因の一つだったのでしょうか?それともカトリックのエドモンと結婚するために宗旨替えしたのでしょうか?

 *1 プロテスタントといってもバプティストとかメソディスト、クエーカーなどなどといろいろな宗派があるので、このことを言っているのでしょう、たぶん。プリンスエドワード島という名前からして新教徒的ですからね。
 *2 神の国とは違って、世俗の国は集合離散が付き物。折角ローマ帝国国教となったのも束の間、未来永劫続くかと思われた帝国は分裂。些細なことから軋轢が増大して、教会はとうとうローマ(後のカトリック)とコンスタンティノーブル(後のギリシャ正教)に分裂してしまったのでした。シスマってやつですね。ちなみにこのシスマ(離教)何度と無く繰り返されています。血の気が多すぎ>クリスチャン
 
*3 トキのローマ教皇はあわよくば東西教会の再合同を成し遂げようというモクロミを持っていたようです。が、相手のビザンチン帝国皇帝はそんなこと露程も思っていなかったのでした。
 *4 たびたび開かれた公会議は異端認定とその追放のためにおこなわれていたと言っても良いようなものです。有名なネストリウス派とかもそれで、しかし後の世になってイスラムに押されまくられた時代にプレスター・ジョンの伝説として儚い希望として語られるようになるのですからわからないものです。てゆーかムシが良すぎ。
 *5 家庭用燻蒸殺虫剤。主剤はジクロルボス。毒性機構はサリンと同じくコリンエステラーゼ阻害による神経毒。この物質はかなり毒性が強くて、慢性暴露でも記憶と集中力の障害・失見当識・重度の抑うつ・興奮性・錯乱・頭痛・会話困難・反応時間の遅れ・悪夢・夢遊病・眠気や不眠症・頭痛や吐き気、衰弱、食欲不振、倦怠感を伴うインフルエンザ様症状などなどの症状が出ることがあるとか。恐いですねー。ウチでも吊してますが(笑)。ときどきこーんな大きなゴキブリが死んでてドキッとします。え?お前のウチが汚いだけだって?いや、ごもっとも。
 *6 前の方で触れたアルビジョワ十字軍やフスの火刑後にチェコでおこったフス戦争。東では13世紀のバルカン半島でおこったボゴミル派への弾圧など。それらにおよそ共通するのは”清く正しく貧しくあるべき”という主張。ローマ教会としてはズボシを刺されたといったところでしょうか。
 *7 元々は文字通りの”審問”でしたが、後にはテイの良い財産巻き上げ産業のようになってしまいました。魔女狩りって奴です。カトリックと対立するべく登場したプロテスタント陣営も自身の正当性を主張するためにじゃんじゃんと業火を燃やしました。困ったもんだ。かつてユダヤ教徒が弾劾した生け贄を捧げるアンモン人の神官のようですね。
 *8 プロテスタントの主張のひとつは教会を通さない神との直接一対一の契約、つまり卸問屋などの中間コストを省いた直売方式です。すなわち人の数だけ新しい宗派が現れてもおかしくない考え方ですね。
 *9 10万ともいう死者を出したドイツ農民戦争や、最初は新教Vs旧教の形ではじまり、ハプスブルグ家Vsブルボン家の戦争として終わった三十年戦争とか。
 *10 ユグノー戦争。単にズバリ宗教戦争とも言います。最大の衝突とも言えるサン・バルテルミの大虐殺では数万を超える新教徒が虐殺されたとか。この事件を気に対立はますます先鋭化するわけですが、これに黒幕として関わったといわれているのが、イタリアから文化の薫りと共にお輿入れして来たカトリーヌ・ド・メディシス。《毒女》として非難されてますが、後年イヤミも憧れるブンカの国おフランスとなるのは彼女の存在なくしてはなかったはずなのでもっと感謝せねば>おフランス人。

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